青年時代の直弼は、師でもあり友人である長野主膳とたびたびこの寺を訪れ、歌を詠み語らい過ごしました。本堂の奥の石州流庭園と呼ばれる庭は直弼が手を入れ、こよなく愛したといいます。
安政7年(1860年)3月3日。桜田門外の変で、直弼が流した血が染みこんだ土は彦根に運ばれ、直弼最期の衣装類と共に天寧寺の境内に埋められました。直弼の供養塔のそばには長野主膳の墓、その背後に、直弼のかつての恋人村山たか女の碑がひっそりとあり、眼下には彦根のまちなみが広がっています。
*直弼が最期に使っていた、座布団は毎年の供養祭で一般公開されています。(座布団と直弼の肖像画の一般公開毎年3月28日〜4月8日、庭園の一般公開毎年11月20日〜28日)。

